舞美嬢二十歳〜ここに地終わり海始まる〜

2月7日は私にとって特別な日です。そう、

舞ちゃん16歳!!
そしてそして、舞美嬢20歳
アーンド
コロンちゃん(舞美嬢の愛犬ww)

ハッピーバースデー!!

本当は2日遅れですが、許してニャ・・

从・ゥ・从<まさかの2日続けて同じネタとか。。
(o・酈・)<そんな事したらオコだよ!!

御意。。。

毎年きっちり7日にお祝いかけないですねぇ。。本当ダメダメです。
少し遅くなりましたが、恒例のヲタオメメッセージ、今回は舞美嬢から始めようと思います。


二十歳ですねww

うん、何かあっという間だったなぁ。


・・・

・・・



11歳以前、周りにそそのかされて少しずつ興味を持ち初めていました。
白いTOKYOのPVで見せた微笑にメロメロになってしまいましたが、まだ、推しという感じではなかったかな。



12歳、舞美嬢にとって天国と地獄を味わった歳だったんじゃないかと思います。
ZYXの活動も無くなって、またBerryz工房の結成と反比例するように露出が減ってしまったけど、個人的には逆にどんどん気になる存在になってきていました。
決定打となったのは2004年夏ハロの「乙女 パスタに感動ハロー!プロジェクトキッズ名義で登場したステージ、ベリーズとあまりにも対照的な境遇に逆に火が付きました。
「オレは舞美ちゃんとこの子達を応援していこう!」ハッキリとではないけど、何となくそんな気持ちが芽生えてきました。
実際このステージの舞美嬢は・・本当ボクの℃真ん中でしたw

嬉しい出来事もありました。2004年11月14日、豊田スタジアムスポフェスで60Mと1500Mを制した舞美嬢は堂々のMVPを獲得しました。
本職の歌ではなかったけれど、舞美嬢がハロプロに入ってから一番スポットライトを浴びた時なんじゃないかと思います。
実際この年のスポフェスで舞美嬢のファンになった方を私は結構知っていますww

ただ本職の歌では。。。忘れもしない2005年冬ハロの紅組公演。。

色々なメンバーが色々なユニットで活躍する中、舞美嬢はジャンケンピョンただ一曲だけ。。全参加者中最も短い出演時間でした。゚(゚´Д`゚)゚。
実際とても辛かったんじゃないかと思います。だけど舞美嬢は全く腐らなかった。
楽しそうに全力投球のステージ。
何て気持ちのいい子なんだろう!!ってとても清々しい気持ちになりました。いつかこの子に光が差す日が来る事を強く願いました。



13歳、ついに℃-uteという家が出来ました!!
初めて参加したふれあいコン、持ち歌はなかったけど、皆楽しそうで、そんなステージを見るのが本当に嬉しかったです。
舞美嬢の「ホホホノホェ〜!!」とか奇声を発する若奥様姿にはキュンキュンしましたwww
この千秋楽の成田では、たっくんと人生初の℃-ute連番(当時たっくんは、ガキさんヲタだったけど、この日は愛理推しという体)もしたなぁ。
そうそう、この公演では13というリストバンドをしていました。
前日大阪でのサマソニに参戦したのですが、8/13だった為、入場券替わりのリスバンには13とプリントされていて、当時の舞美嬢の年齢だったので、いいな!って思って付けていました。
ロックフェスから℃-ute現場へ、ロックの道は℃-uteの通ずってなwww

同じ8月にはパシイベで舞美嬢と初めて握手もしました。
浴衣姿本当可愛かったなぁ。



14歳、もはや℃-uteファンには説明不要、Cutie Circuit 2006という℃-ute史上最長のジャーニーが始まります。
北は北海道から南は博多まで。
多分舞美嬢に出会ってなければ絶対できなかった旅、タイに行った時よりも、チベットに行った時よりも、カトマンズに行った時よりも本当に楽しい旅でした。

このCircuitで今でも印象に残っていることがあります。
℃-uteのデビューシングルとなった「まっさらブルージーンズ」はとにかくダンスが激しく、しかもかなりキーが高いので終盤でいつも舞美嬢の声がひっくり返ってました。。
もう少しペース配分を考えて、最後までもたせないとプロ失格だよ!と本人には言いませんでしたが、そんな風に思っていました。
でも、公演を重ねても重ねても全然ペース配分を考えないで、それでいつもひっくり返る。。。
だけど絶対全力で踊る、高いキーで攻めるってのをやめませんでした。
そして今では勿論そうですが、ある時から全く声がひっくり返らなくなりました。キーを落としたこともあったのですが、それよりも絶対引かないで全力でぶつかっていって、困難を克服する。
今日の舞美嬢に繋がる姿がそこには確かにありました。
今でも、難しい曲や舞台に取り組んで苦労している事をブログで話している時、この時のことを思い出します。
そして、舞美嬢なら絶対大丈夫だと思えるんです。

別れもありました。
2006年11月、普段噛んでばかりの舞美嬢が全く噛まないで脱退しためぐにエールを送ったあのメッセージ。。。忘れられないよ。
何て真っ直ぐな子なんだろうと、いい年して涙が止まりませんでした。

舞美嬢にとっても℃-uteにとっても激動の一年で私は矢島舞美という子を人として大好きになりました。



15歳、念願のメジャーデビューに初ライブ。
夢だった単独ステージにたった初日夜で大号泣してしまった舞美嬢、私も多分同じ位泣いていたと思う。
自分なりにこのステージまでの苦労を理解していたつもりだったから。。
結成から1年9カ月。。ハロプロ史上最も遅いステージへの到達。
おっとりしていて口には決して出さなかっただろうけど、リーダーとして背負いこんできたものの重さを感じる涙でもありました。

貴方が踏ん張ってくれなければ、私は℃-uteというグループに出会えなかったと思う。
本当にありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになりました。



16歳、の恋なんてww私が大好きなミュージシャン、KANが舞美嬢に書いてくれた唯一の曲。
またお願いしますよ、KANさん!!
舞美嬢のラジオが始まった歳でもありますね!!(確か・・)
たまにしか聴かない不真面目な舞美嬢ヲタが言うのもなんですが、舞美嬢の人柄が出てるとても温かくていい番組だなって思います。舞美嬢のたぐいまれな文章のセンスもこの番組を通して磨かれたんじゃないかなと思っています。
いつかちゃんと聴こうと思うので、それまで続けててね、舞美嬢ww



17歳、女の子が一番輝く歳、例外なく舞美嬢も輝いていたな。写真集「17」は「タビオト」と並んで舞美嬢の美しさで溢れていてとても好きな写真集。
この年は、念願だった舞美嬢ソロパシイベ、4年間、11連敗の末に辿りついたステージは正に夢のような時間でした。
偶然連番したズイコさんとも知り合えた公演、
そして「想いあふれて」

豪快な歌詞飛ばしもらしくて微笑ましかったけど、舞美嬢の溢れる想いが伝わってくる、胸にズシンとくるステージ。
自分がこれまで見てきた舞美嬢のアクトでも未だに最も好きなアクトです。

長く℃-uteを支えてきた盟友、梅さんとの別れ、時を同じくして長い友ww舞美嬢のトレードマークでもあった綺麗な黒髪もバッサリ。
女の子なんだけど、この清々しい男気に改めて惚れ直しました。

今ではすっかり美しいロングヘアに戻りましたが、ショートの舞美嬢も超々可愛かったなぁ(≧∇≦)b

ハワイでは握手して泣かせちゃったww
未だに一番心に残る握手だなぁ、あれは。



18歳、高校を卒業して社会人としての第一歩を踏み出します。
そして、私にとって長い舞美嬢推しとしてのヲタ活の中で、一番衝撃的な矢島舞美と出会いました。

「らん」。。

初演を見た時、その余りの凄さに言葉になりませんでした。

先日のバースデーイベントで舞美嬢のお母さんが舞美嬢に宛てた手紙で知ったのですが、
高校を卒業した舞美嬢は「二つの事を同時にやろうとしたらどちらでも中途半端になってしまうから」そういって進学をしなかったそうです。
文字通り不退転の覚悟で臨んだ舞台だったんでしょう。

千秋楽を迎えた時、そしてその後のブログを読んで、震えと涙が止まらなかったのを今でも覚えてます。
この子を心から尊敬しました。そして益々好きになりました。



19歳、実は今までのヲタ活で一番印象は薄かったような気がします。
新しい舞美嬢との出会いは少なかったのですが、これまで舞美嬢に感じてきたものをより深く感じた1年でもありました。
特に舞美嬢の温かさを感じる1年でした。

19歳になって間もなく起こった東日本大震災。。再開後の初ブログの真摯に丁寧に綴ったメッセージは、感動以外のコトバは見つかりませんでした。
一つ一つの公演でのMCやブログから発せられるメッセージにはとにかく温かさがありました。
この温かさの源は、やはり矢島家の家族の存在が大きいんだなって改めて感じました。


以前「美女放談」という番組で、前千葉県知事の堂本暁子さんに家族を褒められた時、「とても誇りに思います」と言ってフッと見せた笑みは、舞美嬢の数ある笑顔でも一番印象的な笑顔でした。


そうそう、家族と言えば、矢島家の3匹のワンちゃん、特にアロマちゃんとの会話も超癒されるんですよね。
「へへん、つかまらないよ」と舞美嬢を手玉にとるアロマちゃんと舞美嬢のやり取りがとにかく可笑しくて。

何時までもこういう愛犬達と会話する舞美嬢でいて欲しいなぁww



そしてそんな大好きな家族への思いを綴った二十歳の更新。

幸せです

舞美嬢。。。あんたって人は。゚(゚´Д`゚)゚。

本当に真っ直ぐで、温かくて、何てステキな子なんだろう。
ボクはこんな子と知り合えて、そしてこの子の人生のほんの僅かだけれど、嬉しい事や悲しい事、感動を共有できて本当に幸せです。



何かダラダラと思い出を綴って全然バースデーメッセージっぽくなくなっちゃいました(^_^;)



「ここに地終わり海始まる」はポルトガルにあるユーラシア大陸最西端の岬、ロカ岬の石碑に刻まれている一文です。
宮本輝の小説の表題にもなっているこの一文は、「さぁ、これから海に飛び出すぞ!」という大航海時代のロマンの香が漂う、とても好きな言葉です。

この20年は、とても刺激的で素晴らしいものだったと思います。
だけど、これからの舞美嬢の人生には、きっと、もっともっと沢山の出会いや出来事が待っていると思います。

舞美嬢の素晴らしい出会いと、幸せな人生を願って、敢えておめでとう、ではなくこの言葉を贈ろうと思います。


という事で少しはヲタオメメッセージらしくなったかなwww





あ、最後にもう一言だけ!


私は、舞美嬢との出会いは人生最高の出会い。。。とは思っていませんよそれはww
だけど、舞美嬢と出会えた事によって、私の人生はとても豊かになりました。
舞美嬢と出会えたから知りえた人、土地、そして感動があります。
舞美嬢と出会ってからの時間は私の宝物です。

矢島舞美さん、生まれてきてくれて、本当にありがとう。